災害の時代とも言われた平成の30年間。その平成で、大規模災害のトップを切ったのが平成2年に始まった雲仙普賢岳の噴火災害に他ならない。以後数年に及んだ火山活動では、度々山麓を襲った火砕流の恐ろしさをまざまざと見せつけてくれた。成長した溶岩ドームは平成新山と名付けられ、ニッポンで最も新しい山の誕生となった。
噴火収束から20年以上が経過した今なお、平成新山は登山禁止になっている。だが、かつて火砕流が流れ出た溶岩ドームの直下のルートまでは通行可能になっている。そこで驚かされるのは植生の回復ぶりだ。当然ながら火砕流の流れた跡は、すべての物が焼き尽くされ一木一草も生えない、見渡す限りの荒廃地が広がる。
ところが20余年が経過した今日、人の背丈を超すウツギなどの灌木に覆われ、新緑や紅葉に美しい姿を見せてくれる。さらには、麓から上へ上へと競い合うように緑地帯が延び上がってゆく様が見て取れるのである。日本列島が、完膚なきまでの破壊とゼロからの復興の繰り返しで成り立っているのは、人間活動も自然も一緒と気づかされる。
登山史的にも平成新山の誕生は、類まれなエポックであった。平成噴火以前の雲仙火山の最高峰は普賢岳で標高1359mだったのが、平成新山は1483mと120m以上もアップした。雲仙岳は日本百名山ではないが、古より名高い火山であるから、選定者である作家の故深田久弥は認知していたはずである。ただし百名山選定の基準として、一部の例外を除いて概ね標高1500m以上という線引きがあった。
雲仙岳の当初の高さではさすがに苦しいが、1500mに近い今の標高なら、選定の重要な候補になっていたと思うのである。世が世であれば百名山だったのだ。いつの日か平成新山に登れるようになれば、雲仙岳の魅力はいや増すに違いない。
最後に、雲仙火山を総合的に体感するのなら海岸沿いの「がまだすドーム雲仙災害記念館」がお勧め。昨年に全面改装され、迫力あるジオラマや映像、様々な体験コーナーやカフェなど最新設備が揃い、ちょっとしたテーマパーク風。もはや平成ではなく令和を実感させてくれるだろう。
◆おすすめコース
仁田峠-普賢岳・妙見岳など一周(4時間:初級向け)※平成新山の核心に迫るコースは一方通行で歩きにくいが、是非とも立ち寄りたい。
平成新山の溶岩ドーム(上の画像をクリックすると大きく表示します)
◆参考地図・ガイド ◎「雲仙温泉観光協会」のホームページから「雲仙とは?」→「雲仙登山ガイド」をクリック。