中央線あるいは中央高速で甲州から信州へ向かう時、車窓に裾野を引く一群の山が現れる。「あっ、八ヶ岳だ!」誰かが叫ぶ。が、それは八ヶ岳でないことがしばしば。八ヶ岳と見誤ったのは茅ヶ岳とその周辺の山々なのである。八ヶ岳は高峰であることから雲に隠れていることが多い。茅ヶ岳山群が良く見えていると、サイズは本家よりぐっと小さいが、ついつい八ヶ岳と錯覚してしまう。ために「ニセ八ツ」なるありがたくないニックネームすら付いている。しかもこのあだ名には歴史があり、江戸時代の文献からその記載が見られるという。
茅ヶ岳山群は八ヶ岳に模されるだけあって、いくつかのピークから成っている。中でもすぐ北隣の金ヶ岳は標高が60mも高く、本来ならこのエリアの主峰格なのだが、知名度で遥かに及ばないし、茅ヶ岳から足を延ばす人も多くはない。ひとつには茅ヶ岳山頂が360度のパノラマを誇り、登山口からの往復登山によって、適度な労力で高い満足が得られることが挙げられよう。そしてもうひとつ、とあるエピソードによって、茅ヶ岳の名は全国レベルに引き上げられることになった。
時に昭和46年3月、本連載でも度々登場する『日本百名山』の創始者である作家の深田久弥が、茅ヶ岳登山の途上で脳出血のため世を去った。享年67歳。終焉の地には小さな碑が立ち、登山口は深田記念公園として整備され顕彰碑もある。例年4月には「深田祭」が開催されている。
遭難死によって、より名が知られるようになった山はいくつかある。700名以上が亡くなり「魔の山」として恐れられた谷川岳然り。冒険家の植村直己が消息を絶ったアラスカのデナリ峰然り。しかし登山的にはマイナーな山であったのが、人の死によって日本中に知られ、今なお登頂者が絶えないという点において、茅ヶ岳の存在は傑出している。かつての偽物扱いから、オンリーワン個性の山に昇格したのである。キーセンテンスは、「死せる深田、数多の岳人を登らす」。あらためて深田久弥と言う人の、登山界に及ぼした影響の大きさを感じずにはいられない。
◆おすすめコース
深田記念公園-茅ヶ岳(往復4時間30分:初級向け)※韮崎駅から登山バスも運行。これも人気の証。
◆参考地図・ガイド ◎山と渓谷社:分県登山ガイド「山梨県の山」