映画『ワタシタチハニンゲンダ!』
横浜シネマリンにて上映
10月22日(土)~
公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる――。日本国憲法第36条は、戦前・戦中の反省のうえに、公務員に厳しい制限を課している。わざわざ「絶対にしてはならない」禁止行為を規定する憲法の条文は、ほかにない。
外国人差別の全貌に迫る髙賛侑(コウ・チャニュウ)監督のドキュメンタリーは、その憲法が効力をもっていない現実を突きつける。
たとえばトルコ出身のクルド人・デニズさんが集団暴行を受ける場面がある。流れる映像は、入管職員たちが彼の後ろ手に手錠をかけて抑えつけ、首を絞めて、蹴り飛ばすさまを見せつける。20人に上ったという公務員(!)たちは、慣れた様子であっという間に彼を取り囲むと、戸惑うことも手間取ることもなく「懲罰」を与えていく。抗議する彼は、死の恐怖に耐えている。入管職員の側は、命を弄んで飽き足らず、罵声を浴びせ続けている。
集団暴行の起点になったのは、デニズさんが薬を求めたことだった。「国を持たない世界最大の民族」の一人である彼は、2007年に来日して難民申請した。のちに日本人女性と結婚したが、東京入管施設に収容されて、東日本入国管理センターに移送された。不眠の症状に悩むようになり、薬を必要としていった。
入管の恐るべき差別は公務労働なのか
映画は、断片的な開示映像と、被収容体験者らの証言をつなぎ合わせることで、真相のすべてが知らされることはない入管の奥深くでなされる数々のおこないの輪郭を浮き彫りにする。前作『アイたちの学校』において、朝鮮学校の歴史と現状を主題にしたときに髙監督が見せた、字幕とナレーションを多用する手法によって、初学者にもやさしく理解を助けてくれる。それゆえ観る者にとって、入管職員という「ニンゲン」の集団がしていることの不可解さが、いよいよ際立っていく。
はっきりとした迫害と残虐行為(そこには「ウィシュマさん死亡事件」のような緩やかであることがよけいに残忍な虐殺が含まれる)に、疑問を抱かずにはおられない。ニンゲンの顔をした職員のやっていることは、はたして業務上の位置づけをもつ公務労働であるか。
いま少し憲法について話そう。実効性が大きく傷つけられて遵守されていない憲法は、もはや違憲の現実が法的性格を帯びており、廃された規範と解する説がある。だが、「芦部(アシベ)」で知られる日本国憲法の定版コンメンタールはこれを支持しない。「将来、国民の意識の変化によって、仮死の状態にあった憲法規定が息を吹きかえすことはありうる」からだ。世論が権力を縛る、という意味である。
わたしは7月14日、マスコミ、支援団体、ライターのための試写会(都内)で映画を観た。髙監督のなさったあいさつは、「外国人差別をなくしたい。観ていただくというよりは、何か一緒に運動をしてほしい」。
素通りする者に向かって、映画は「アナタハニンゲンカ」と問うている。