映画『アイたちの学校』
横浜シネマリンにて上映
10月22日(土)~ 一週間限定
日清戦争から日露戦争、アジア太平洋戦争へと日本が突き進む過程でのことです。日本は軍事力で脅し、朝鮮半島を植民地にしてゆきます。
朝鮮人に対して日本語と日本人式の名前の使用を強制し、文化を奪い、一つの国を消し去りました。
そして、日本が戦争を遂行するために労働力を確保する徴用に加え、土地と生業を奪われて困窮した多くの朝鮮人は生きるすべを求めて日本へ渡ることになります。
マイノリティーとして差別に苦しみながらも、1945年の日本の敗戦以降、在日朝鮮人たちは日本帝国主義により奪われた民族の言葉と文化を復興しようと、全国に「国語講習所」を設立します。それが現在に続く朝鮮学校へと発展するのですが、朝鮮学校を認めようとしない米国を中心とするGHQと日本政府は、死者を出すほどの激しい暴力による弾圧をおこないます。日本が敗戦後に朝鮮半島の権利を放棄した一時的な政治的空白に、大国の都合で東西冷戦が持ち込まれ、南北に分断された影響が日本国内にまで及んだのです。
冷戦が過去のものとなった今でも、朝鮮学校の苦難は現在進行形で続いています。
日本の国や自治体が政治的な理由をつけて補助金を止めた朝鮮学校は、老朽化した校舎の維持や建て替えもままならないばかりか、朝鮮高級学校は高校無償化からも除外され、生徒家族の負担は大きなものとなっています。こうした行政による「公的」なヘイトは朝鮮学校の生徒や朝鮮人社会に対するヘイトスピーチや暴力を助長することも想像に難くありません。
勉学や部活の時間を削りながら生徒たちは家族、支援者たちとともに、民族教育の権利を求めて街頭でビラを配り、学費無償化裁判を闘っていきます。
2017年に大阪地裁で勝訴を収めた高校無償化裁判での報告集会で生徒の一人が目に涙を浮かべ笑顔で「やっと私たちの存在がみとめられたんだ。私たちはこの社会で生きていっていいんだと言われている気がしました。差別は差別を生みます。それ以外は何も生まれません。この世に差別されるべき人など一人もいてません」と語る姿が胸を打ちます。この判決が全国でおこなわれた差別撤回裁判の中で唯一の勝訴でした。
司法は歴史に向き合わず、行政府が未だに加害を繰り返す現状の日本は、戦後の清算のスタート地点にも立っておらず、必然的に日本人は日本帝国主義の反省を土台とする日本国憲法体制も実際には受け止めきれていません。
日本の朝鮮学校に対する差別問題を取り上げた髙賛侑監督作品は、単に日本国内の特定民族学校に対する差別問題の告発という枠を遥かに超えた、近代史と向き合う機会をわたしたちに与える、本当の戦後清算と日本国憲法体制に向かう道標となる作品ではないでしょうか。