横浜駅から少し歩いた沢渡の高台にある「神奈川朝鮮中高級学校」。昨年度、鶴見区にあった幼稚部が移転し、今は幼稚園生から高校生まで、朝鮮半島にルーツのある子どもたちが学んでいる。
6月に開催された文化交流祭を同僚らと見に行った。生徒たちによる発表は学年ごとの学習発表から始まり、吹奏楽、民族楽器の演奏、民族舞踊などの文化発表まで多岐にわたった。学生とは思えないほどの技術と完成度の高さに心を揺さぶられた。
文化交流祭の終盤、朝鮮学校の困難を目の当たりにした。
体育館で行なわれた文化発表。突然の土砂降りの雨が、窓からの視界を遮り、屋根を激しく打ち付けた。終了間際に上がった雨に安堵して体育館の扉をくぐると、それまでが嘘のように晴れ渡っていた。
「気を付けてくださいね」。わたしたちを案内してくれていた卒業生の声がすぐ後ろから聞こえた。傘を取り出して、駆け足で私たちを追い越して行く。気を付ける? なんのことだろう? 不思議に思い彼を目で追いながら校舎へと続く道をいくと、道幅の狭くなったところで立ち止まり傘を開く姿が目に入った。近づかなくても何をしているのかすぐに理解できた。
バチバチバチバチ――。彼の傘に懸河の勢いで流れ落ちる水の音。水圧で今にも破れてしまいそうな傘から跳ね返る水滴で濡れる肩を少しも気にすることなく、彼は笑顔を向けながら、来校者たちが濡れないように道をつくってくれた。「雨上がりはこうなっちゃうんですよね。あちこち雨漏りがひどくて」。
排外主義
彼の言葉に息を吞んだ。以前取材で訪れたときに見た、不慣れな人が補修したのだろう階段や壁を思い出した。応接室からつづく会議室のPタイルはあちこち大きく剥がれていた。わたしの通った学校では見たことがない。校長先生が教えてくださった。「保護者や教職員たちで修理しているんですよ。生徒たちが使う場所から優先して直しているので、会議室まで手が回りません」。
現在の初級学校である鉄筋4階建て校舎が落成したのは1961年5月1日。その後生徒が増える中で増築が繰り返され、1970年5月に建てられたのが一番新しい校舎だという。今から半世紀以上昔のことだ。生徒や先生たちが校舎をどれだけ大切に使っていても、老朽化には抗えない。神奈川朝鮮中高級学校は児童生徒らの安全な学校生活を保障するため、耐震補強工事などを含むリノベーション工事を行なうことにしたという。
日本人の排外主義は、2000年代から陰湿さを増して広がり、20年を超えて根を張ってきた。自治体はそれを扇動しながら朝鮮学校にかかる補助金の交付を停止。影響は生徒数の減少に如実に表れた。いま、学校の経営は相当に厳しいだろう。
自治体が補助金の交付を廃止したことで、どれだけの人の心を傷つけただろうか。自治体が補助金を交付していれば、学校の補修・改修は少しずつでも叶っていた。自治体の罪、主権者であるわたしの罪は、どれほど重いだろうか。
リノベーション事業には多額の費用がかかる。一円でも多くを、日本人から届けたい。組合の定期大会でリノベーション事業へのカンパに取り組んだ。「応援している」「何かしたいと思っていた」という組合員たちからまとまった金額が集まった。
植民者
朝鮮学校を排除する国、自治体をつくってきたのは、わたしたち。罪を手放すことはできない。けれども植民者であるという自覚を持ちながら、彼らと過ごすことはできる。