【第256山】賤ヶ岳421メートル(滋賀県)知名度ナンバーワンの古戦場

 ニッポン史上、山の名がそのまま付いた合戦は多くない。そんな中で最も知名度の高いのが「賤ヶ岳の戦い」だろう。織田政権の承継争いで、羽柴秀吉が柴田勝家を破って、一躍天下人への階段を駆け上る要因となった戦いである。

 賤ヶ岳それ自体は、琵琶湖の北端に位置する小さな山である。戦の実際は、賤ヶ岳の北麓にある余呉湖を挟んで、北側の山々に柴田勢、南側の山々に羽柴勢が布陣したもので、賤ヶ岳は羽柴方の一武将の陣地に過ぎない。ところが、賤ヶ岳一帯での戦闘が合戦全体の帰趨を決めるターニングポイントとなったこと、そして百姓上がりで譜代の家臣などいなかった秀吉が、自身の世間体を高めるために、合戦で功のあった加藤清正ら7人を「賤ヶ岳七本槍」と称して広く世に喧伝したことから、この山がこの合戦のシンボルと見なされるようになったようだ。そして現代、歴史好きは元より現役の高校生くらいなら賤ヶ岳の名を知らぬ者はいないだろう。

 では賤ヶ岳、山そのものの魅力はどうか。はっきり言って姿は冴えない。標高が低い上に、山地の上の小突起に過ぎず、遠方からこの山を同定することは困難だ。その反面、登山道は何本もあってよく整備されている。どころか登山リフトまであって、終点からならものの10分で登れてしまう。こんな地味山にこれほどの手が入っているのは、やはり歴史上の知名度の故だろう。えてして、かような名前先行の山は、せいぜいが話のネタ程度で、登山的にはあまり期待できないと思われるのが人情。が、いざ山頂に着いてみれば、その展望の素晴らしさに舌を巻く。まずは琵琶湖、奥行きは無限、海を湾奥から見るよう、さすがニッポン随一の巨大湖だ。また湖の東側には北近江の豊かな田園地帯が広がる。姉川の戦い、小谷城、遠く安土城址、戦国の表舞台そのまま。

余呉湖をバックに、ボランティアの解説が聞ける

 琵琶湖の反対側には余呉湖と取り巻きの山々が一望だ。こちらこそ本合戦の表舞台、案内看板と突き合わせると、眼前の山々への布陣や合戦の経過が手に取るようにわかる。一軍の将として采配を振るう気分に浸れてしまう。やはり歴史に彩られた付加価値は計り知れない。知名度と実力を備えた名峰なのである。

◆おすすめコース
 リフト下登山口─賤ヶ岳─登山口(往復2時間:初級向け)
※リフト利用なら山頂まで往復15分
◆参考地図・ガイド:「賤ケ岳ハイキングコース」でネット検索を