地域包括ケア 自助だけ強調する危険な仕組み


 病気やけが、災害、出産、失業などの生活リスクに、国が「健康で文化的な生活」の責任を負う社会保障制度が日本では非常に貧しいと痛感します。

社会保障部長(保健師)

 Aさん夫婦は二人合わせて月数万円の年金収入があります。家は持ち家、妻の認知症の進行とともに、介護する夫はストレスから暴言暴力、不適切な介護が目立つようになりました。子どもからの支援はなく、介護サービスで状態を改善しようと支援者が関わりますが、夫は経済的理由から受診や介護サービスの利用を制限。夫が抵抗した持ち家の処分も念頭に、生活保護によることになりました。

 贅沢ではないむしろ質素な生活をしていても、こうした事例は決して特殊ではありません。

 日本の国民所得に占める社会保障支出は、OECD諸国の中では平均よりやや高いものの22・4%にすぎず、フランス32・2%デンマーク31・6%、フィンランド30・4%はおろか、米国24・6%と比べても見劣りします。最高齢化国であるにも関わらず、日本の社会保障費割合は増えることなく推移し、抑制されています。(数字はいずれも2019年OECDデータ)

 また、財源は事業主負担より労働者・国民の負担割合が高くなっているのも特徴です。先の事例もそうでしたが、医療・介護の保険料・利用料負担が極めて高くなっています。

 年金制度は、給付水準が低く最低生計費をカバーしていません。昨年は「年金2000万円不足問題」もクローズアップされ、年金だけでは生活できない実態が露見しましたが、消費税増税、国保・後期高齢者医療・介護保険の保険料引き上げや利用者自己負担割合の引き上げなど、労働者や国民の負担を増やす施策が次々提示されています。

 医療・介護保険の枠組み中で、近年国のすすめる「地域包括ケアシステムの構築」は、自助・互助・共助・公助の役割を明示し、特に自助・互助を推し進めようとするものです。それぞれの立場でしかできないこともあります。しかし、どこか一方だけが強調されるシステムは危険です。「すまい」の問題が取り上げられていても、持ち家でない人は、少ない年金からの住居費の捻出も求められるのです。

 社会の役割と言ったときの「社会」には、地域社会もありますが、企業、特に大企業にだって負うべき社会の役割はあるはずです。ところが法人税が引き下がり、毎年多額の内部留保を増やし続ける大企業がある一方で地域の生活の場ではAさんが多数存在します。

 根本の問題をふせたまま、受益者負担や自助互助だけを求める小手先の対策では限界があります。大きな仕組みのところで大企業に役割を果たさせ、真に労働者の生活を補完する社会保障を考えるべきではないでしょうか。