近年、AIの出現と普及による大量失業の未来を懸念して、ベーシックインカム(BI、普遍的の意でユニバーサルを頭につけてUBIとも)の導入が主張されるようになりました。
昨年からは、新型コロナ禍で広がった困窮に喘ぐ人々へ応急手当して、経済に与えられた大きな打撃を癒す政策という意味付けを持つようになりました。一律10万円の特別定額給付金のような各国の政策が一部の社会科学者だけでない広範な議論を喚起しています。
とはいうものの、BI推進論は同床異夢のようです。
たとえば、米外交問題評議会によって創刊された隔月刊の外交専門誌「フォーリン・アフェアーズ」のウェブサイトに昨年10月に掲載されたマニトバ大学教授で経済学者エブリン・L・フォーゲットの小論「ベーシックインカムの台頭―パンデミックが呼び起こした構想」(邦訳は日本語版11月号に掲載)は、「既存の社会的セーフティネットは穴だらけで、いまや新しい何かを試すべきタイミングにある」と結論しています。
フォーゲットは、「低所得者を対象としているため、それほど大きな金額にはならない」「子どもの給付金など、多くの政府がすでに行っている社会支出と変わらず、年金に関してははるかに少なくて済む」と、最低生計費に足るかどうかもわからない金額、現行の社会保障給付の廃止と財源移譲を前提にしているようです。BIは「公共サービスの代わりではない。障害や依存症という問題を抱えている人には特別な支援が必要だし、あらゆる人が医療ケアと教育を必要としている」と知りつつ、「貧困層の医療ケアの責任を負ってきたプログラムの負担を軽くする。病気になるまで待って貧しい人に治療費を払うよりも、自分の世話をできるように、事前にお金を与える方がよい」と断じていることからも、総体として社会福祉・公衆衛生の縮小再編を狙っているのでしょう。少額の給付の枠内で「自助」でどうにかしろとでも? これが「費用対効果が高く、人道的」とフォーゲットが言うBIです。
反対に、労働者の権利を擁護するBI推進論には、堅田香織里「パンデミックにおけるベーシックインカム」『福音と世界』12月号(特集=パンデミックと生存格差)があります。
堅田は、パンデミックを「地球の生態系と雑多な生物・動物の生息地に不可逆的な損害を与え」、「医療やケア、公衆衛生といったコモンズの仕組みを破壊し」たネオリベラリズム(新自由主義)の災厄による「危機」と捉え、エッセンシャルワーカーの「不当な処遇を改善し、その経済的・社会的地位を正当に評価すること」「社会的意義のない『くだらない(ブルシット)』仕事の虚構性を周知させ(略)新たな社会的現実を生み出す」方法に関心を示しています。ロンドンを拠点に活動する「グローバルな女たちのストライキ」が各国政府へ向けた公開書簡「ケアインカムを今すぐよこせ!」に準えて、「この世界には、すべての人への普遍的なベーシックインカムを実現できるだけの富がすでに存在している。恐れる必要はない。ベーシックインカムを要求しよう」と。
他方、労働者の権利を擁護する立場ゆえにBIの構想を批判している点で興味深いのは、国際労働組合権利センター(私たちの組合が加盟するナショナルセンター「全労連」も参加)の「国際労働組合権」誌27巻3号(特集=Impacts of Covid-19 on Work and the Challenge for Union Rights)に収められたラルフ・クレーマー「ベーシックインカムは現実の対案たりえない」、原題はUniversal Basic Income –not really an alternative(未邦訳)です。
クレーマーは、なぜ、大多数の人々が普遍的ベーシックインカムを片方のポケットで受け取ると同時に違う方のポケットからとてつもない重税を引き出されるような大型の再分配装置を運行させねばならないのか? と問い、「福祉国家をできる限り削り落とすこと」や、UBIに対して賃金を組み代えることを欲する「新自由主義の変種」のいかがわしさを敏感に感じ取っています。クレーマーの論理は明晰で、「我らが資本主義の下で生きていて、それは階級闘争と社会-政治の権力に規定されるということを忘れるべきでない。もし我々が保健や看護や教育の広範に共有される要求を実現できず、大企業と富裕層のための減税を阻止できないとすれば、UBI運動が相当程度に資本を犠牲にしてまで社会的にUBIを推進するという構想がどのようにして実現可能なのか?」、「資本が既成の福祉国家の破壊、労働者の権利と団体協約の破棄、賃下げ圧力のためにUBIを用いることを警戒するべき」、「貧しい雇用とアンフェアな所得と富の配分にとっての解放的な対案は、富と所得の公平な配分はもちろん、人道的な経営、職場の民主化、労働時間短縮、すべての社会的に必要な賃労働と不払い労働の公平な配分」で「団体協約と法的規制と強力な労働組合勢力だけが唯一これを実効することができる」。
「労働からの解放」ではなく「労働における解放」を希求するクレーマーの労働組合活動家らしい主張は、示唆に富んでいます。
教育宣伝部長