「もうすぐ十三回忌。いい報告ができる」――。
神奈川区のパブリックビューイング会場で旗出しの中継を見守った遺族で原告の本田照子さん(78)は判決を受けて涙を浮かべながら喜びをかみしめました。横浜最大の建設組合である横浜建設一般労働組合で精力的に組合活動をしていた夫は、支援する会の立ち上げ時からかかわり、副団長を務めていました。
夫の遺志継ぎ基金の創設まで
「いつも『基金制度をつくるまでが大事だ』と言っていました。私たちは苦労するけれども、後の世代のためにやるんだと、口癖でしたね」
肺がんを患い、それが脳に転移。そして脊髄にも転移して、会発足の一年後に亡くなりました。
「肺がんがわかったとき、初めは医者から煙草のせいだと言われていました。手術で肺の片方を取り出したので、病理検査に出したんです。それでアスベストが原因だと認められました」
当時は医者にもアスベストの知識があまりなかったのではないかと話します。夫の後を継いだ息子の肺にも影があると言われています。「息子も『いずれは俺もかな』なんて言っています」
発症までの潜伏期間が10年から50年と長く、命に関わる疾病を発症する危険性が高いことから、「静かな時限爆弾」と呼ばれるアスベスト。
「この判決で全面解決ではないので、もろ手を上げて喜ぶことはできないけれど、少し苦労が報われたと感じています。しかしまだ、基金制度の創設が残っています。しんどい思いをするのは私たちだけでいい。後の世代に苦労をさせたくないですね」
夫の遺志を継いで、すべての被害者の救済実現へ向けて頑張ると笑顔を見せました。
初の統一判断 一人親方も救済
アスベスト(石綿)は安価で耐火性や断熱性、防音性に優れており、戦後に輸入が再開されてから高度経済成長期まで輸入量は増え続けました。建材に広く使われて、大工や電気工、内装工、解体工、塗装工、吹付工、配管工などに健康被害を及ぼしました。
建材メーカーは、有害性を知りながら、安全性をアピールしてアスベスト建材を販売。大きな利益をあげてきました。
石綿肺の危険性は戦前から認識されており、1960年の「じん肺法」で補償の対象になっています。71年には労働省(当時)が「特定化学物質等障害予防規則」を制定し、換気装置の設置や曝露防止対策の義務づけなどを事業者に求める通達を発出しましたが、法律による規制をかけず、アスベスト建材を不燃材料・耐火構造に指定して使用を促進。労働者の健康よりも企業利益を優先しました。
その結果、06年に労働安全衛生法施行令が改正されて全面禁止されるまで、作業者は曝露し続けました。今後も建物の解体、そして震災後のがれき処理などで作業者は危険に晒されます。
支援する会によれば、今も年間約1000人がアスベストを原因とする疾病で労災認定を受けています。
神奈川訴訟(第1陣、原告87人)の最高裁判決は、国とメーカー6社(ニチアス、A&Aマテリアル、ノザワ、MMK、太平洋セメント、大建工業)の責任を認めた上、一人親方にも国の責任を認め、違法性の期間も拡大しました。期間が足りずに賠償額が減額されていた原告については、最高裁で勝利が確定した原告と等しく国の責任を満額認める前提で、高裁へ破棄差し戻します。
大工以外の原告について企業責任を認めなかった東京高裁判決も破棄し、共同不法行為の枠組を示したうえで審理を差し戻します。企業の損害賠償責任を命じる前提の、全面勝利の判決内容です。
屋外作業認めず 闘いはつづく
他方、大阪と京都の地裁で認められていた屋外作業者については、自然換気されて濃度が薄められ国とメーカーは危険性を認識できなかったとして逆転敗訴に。
報告集会で弁護団は「『命あるうちに救済を』と始まった裁判ではあるが、提訴から13年の中で多くの原告が命を落とされた。『一人残らず救済を』というもう一つのお約束だけは何としても果たさなければならない」と続く闘いへ意気込みを語りました。
建設アスベスト訴訟とは
建設現場で働いてアスベスト(石綿)を吸い込み深刻な健康被害を受けた労働者らが国と建材メーカーを訴えた集団訴訟。5月17日、最高裁で上告審判決が下されたのは4件(横浜、東京、京都、大阪)。判決は、国の賠償責任に加え、建材メーカーの賠償責任も認める初の統一判断を示し、個人事業主である「ひとり親方」に対する国の責任も認めた。2008年から全国各地で起こされた訴訟の原告は約1200人にのぼる。