嶺とは「高いみね」の意で、「高嶺」「山嶺」などと表されることがあるが、山名の末尾に嶺が付く例は極めて珍しい。実はこの山域で言う嶺とは峠の意味があり、大菩薩嶺なる名称は、隣接する大菩薩峠のことを指していて、山頂は大菩薩岳と呼ぶのが正しいという。国土地理院が誤用で地図に載せてしまったのが、登山者その他に定着してしまったようだ。ただ大菩薩岳よりは大菩薩嶺の方が、希少性もあってどことなく格好いい。誤用が一般化するには、それなりの説得性があるようだ。
さて、山としての大菩薩嶺と大菩薩峠は切っても切れぬ関係がある。峠の方は同名の超長編小説(大正・昭和戦前)のお陰で有名だったのが、今では日本百名山である嶺の方が認知度は高い。だが、山の魅力を語るのなら両者揃ってこそだ。嶺では登頂達成感は得られるものの、針葉樹に覆われ展望はゼロ。しかし嶺から峠への2㎞弱の稜線上は眺めが素晴らしい。甲府盆地が目地一杯に拡がり、背後に富士山や南アルプス、眼下は大菩薩自身の山嶺が緩やかな緑のスロープをなして高山的な風貌を帯びているのである。つまり嶺と峠がセットになって、大菩薩界隈の魅力が発揮されることになるわけだ。
もうひとつ大菩薩登山で特筆されるのは、首都圏から最も楽に登れる2000m峰ということだ。車やバスで来られる登山口の上日川峠は標高1600m近くあり、丹沢の最高部に匹敵する。このことは登山を実行する上で他にはない意義がある。つまり夏場であっても登山口からして高原の涼感に触れられるわけで、暑さ知らずでお手軽に高山ムードに浸れるのだ。夏の暑さが苦手な人にも勧められる山ということになる。
一般の人には馴染みの薄い遠い山であるかもしれないが、横浜からでもその姿を見分けられる。空気が澄んで見通しの利く頃、北西遥か遠くに長い台形のシルエットが数個連なっていて、その右端の角に当たるのが大菩薩嶺だ。その左の落ち込みが大菩薩峠で、さすがにこちらは肉眼では厳しいかもしれないが、遠目には両者はひとつの山塊である。切っても切れない峠と嶺の混同もムベなるかな、と納得できるだろう。
◆おすすめコース
上日川峠─大菩薩嶺─大菩薩峠─上日川峠(3時間半:初級向け)
※大菩薩峠付近までの往復なら登山装備がなくてもOKだ。
◆参考地図・ガイド ◎昭文社:山と高原地図25「大菩薩嶺」