議院内閣制においては、行政権の主体である内閣の存立の要件が議会の信任に置かれます。内閣総理大臣(首相)は、議会の指名によって選出され、内閣は行政権の行使について、国会に対して連帯して責任を負います。日本では、首相の指名について、予算と条約に同じく、衆参両院の意見が一致しない場合、衆議院の議決が国会の議決となります。つまり、衆院選は政党間の議席を争う選挙でも、その結果で行政府の構成が決まるため、自治体で言う首長選挙に似た側面を持つと言えます。(文責・教育宣伝部長)
権利としての職業
自治体労働者は「全体の奉仕者」としての職務を担う労働者です。日本国憲法第15条2項は、そのことを「義務」としてわたしたちに求めています。そして、採用されると直ちに、「服務の宣誓」で、わたしたちは憲法を尊重しかつ擁護することを固く誓いました。
同時に忘れてならないことは、「全体の奉仕者」としての職務遂行が併せ持っている、「権利」という積極的な性格です。
わたしたちは、一部の巨大資本や富裕層、特権的に国政を私物化する政治家ではなく、地域住民「全体の奉仕者」として働くことを自ら選んでいます。市民革命という人類史上の階級闘争を経た近代社会の人権思想が、「職業選択の自由」を可能にしているからです。
国家権力の末端
ところが、現実の地方自治体は、財界の意向を汲む政府の下請けとなって住民生活を管理・監視する国家権力の下部機構の役割も負わされます。
住民自治を理解しない市長が出現し、市民の意思を無視する「国家的プロジェクト」のカジノ誘致が推進される例外状態は対象から除くとしても、法定受託事務を筆頭に、自治体職員は国の行政執行の末端で公権力を行使しています。
たとえば、生活保護は憲法25条が国民に誓約する生存権を具現化した制度だとて、実際の扶助額を決定する裁量をわたしのような現業員(ケースワーカー)は持ちません。上席を見ても、その権能を持つ基礎自治体職員は、いません。生活保護基準が「健康で文化的」な生活を送るための、社会参入経費を十分に含むかどうかを基礎自治体が判断し、保護費の支給額の多寡を決めることはできません。ただ一人、厚生労働大臣だけに広い裁量が認められています。
そう。時折、選挙を例えて「無関心な人でも無関係ではいられない」と言います。されど公務労働者は「無関心でもいられない」でしょう。カネのためならどんな仕事も厭わないモラルを欠いた汚職官僚でなければ。
立憲野党の政権と自公政権
9月8日、立憲民主党、日本共産党、社会民主党、れいわ新選組の野党4党が市民連合の要請した「衆議院総選挙における野党共通政策の提言」に合意しました。一方、自由民主党と公明党の与党2党は、10月1日に連立政権合意を結んでいます。試みに、その内容を比較、検討することで想定される政権選択の参考にすることができると考えられます。
コロナ禍 労働者に余裕はない
コロナ禍のもと労働者には、命を軽視する首相に最長で4年も行政府を代表させておく余裕などありません。よりマシな政治勢力はどっちだ。階級に共通の利益を見極めたい。