「八十里、こしぬけ武士が越す峠」
幕末の風雲児:越後長岡藩家老の河合継之助が、北越戦争で長州軍に敗れ、越後から会津への逃避行の最中に詠んだ句である。「越後を抜ける→越抜け」に「腰抜け」を掛けた自嘲的な句だ。その峠越えの道を八十里越と呼ぶ。行程の困難さゆえに、八里の道のりが10倍の八十里にも感じられるとされることから付いた名である。山越えの核心部に当たる20㎞ほどは、今なお往時の面影を色濃く残す山道が続いている。
通常の登山道は尾根上に沿って付けられていることが多い。目指すのが山頂であり、最も合理的だからだ。が、生活上のインフラであった古道は、山頂ではなく峠越えが主題となる。ここの長丁場でも尾根歩きは全くなく、尾根上に出るのは峠を越える一瞬だけ、後は山間を縫うように道が続く。これが登山道との決定的な違いで、歩く感覚、見る風景は一般的な登山とは随分と様相が異なり、新鮮な印象が味わえる。
スタートは越後側の吉ヶ平、車はここまで。まず番屋峠を越え、次の鞍掛峠からは越後の山並みが一望、そして見納め。継之助の胸に、ここでどんな思いがよぎったことか。その先はブナの深い原生林の中、あまり高度を下げずに、湿原の近くを横切るなどして、ようやく会越の国境に当たる峠、ズバリその名も八十里越に至る。以降は樹越しに眺めも利くようになり、どことなく越後側とは違う風情を感じつつ、会津側の終点:入叶津に着く。
さて、国土地理院の地形図を見てみると、八十里越の山道のラインに、「289」と書かれた▽マークが付いている。国道であることを示す記号だ。つまり、この峠道は国道289号線なのである。国道と言っても、何やら立派な舗装車道ばかりではないことがわかる。ただ現在、289号線は車道工事が進行中で2025年の完成予定という。八十里は実質0・8里に短縮されるわけだ。幸い新道の位置は殆ど別なので、古道はそのまま残される。栄えある国道の地位は新道に移り、古道はただの道に戻ることになる。が、今後も今のムードが廃れることはないだろう。
「八十里、国道抜けて、なお風情」
◆おすすめコース
吉ヶ平─八十里越─入叶津(12時間ほど:上級向け)
※かなり速攻でないと日帰りは無理で、原始の中のテント泊が必要。
◆参考地図・ガイド ◎国土地理院地形図「光明山」「守門岳」「只見」