昨年10月22日の映画『アイたちの学校』鑑賞と討論会。会運営の協議と当日の報告を抜粋して構成した紙上座談会の後編を掲載します(まとめ・編集長)
朝鮮学校を守り発展させることは、日本社会にとって必要なこと
組合勤務員(日本人)
1951年に調印されたサンフランシスコ講和条約が翌年に発効して、日本は「朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」わけですが、植民地政策「皇民化」からの原状回復を今日までずっと補償していません。言語や文化の再取得教育は在日朝鮮人の自助努力によったこと。これはいくらでも強調しておきたいと思います。
在日本朝鮮留学生同盟勤務員(在日朝鮮人)
解放された在日朝鮮人は日本帝国主義によって奪われた民族の言葉と文化を復興するために、「国語講習所」を起源に学校建設を始めました。子どもたちの未来を考えてのことですが、朝鮮学校閉鎖令が出されました。映画にもあるように、特に抗議の声が大きかった阪神地区では、日本の警官隊が在日同胞を弾圧して血が流れ、1948年4月24日、大阪で当時16歳の金太一少年が銃弾を受け犠牲になる象徴的な出来事が起きました。
朝鮮学校勤務員(在日朝鮮人)
その日付をとって「4・24阪神教育闘争」と呼ばれていますが、この時、GHQ占領下で唯一の戒厳令が出されます。兵庫県を封鎖し、手当たり次第に朝鮮人を捕まえて、親米国家の建設につながる南の単独選挙を支持するか、尋問を加えたわけです。それをするのに在日朝鮮人である息子たちを使ったというから、とても汚いやり方だと思います。反対する者を拷問する、米国の軍事作戦でした。そして、1949年に在日本朝鮮人連盟も強制解散させられます。
組合勤務員(日本人)
団結体を解散させて権益を擁護する術さえ奪ったのです。さらに付け加えると、敗戦直後の1945年12月、日本政府は日本国籍を有していた朝鮮人・台湾人の参政権もすでに停止していました。天皇制廃絶を訴える候補者が出ないようにしたのです。(※1)
朝鮮学校勤務員(在日朝鮮人)
その後、運動が極左的な方向へ誤って舵を切った時期もありましたが、1955年に在日本朝鮮人総聯合会が結成されると、再び朝鮮人による朝鮮人のための自主学校運営の機運が高まりました。在日社会は貧しく、途方に暮れていましたが、朝鮮民主主義人民共和国から教育援助費が送られてきました。1957年に2度、1億2千万円と1億円。金日成主席は国会のような会議で「工場が一つ二つ作れなくても日本にいる朝鮮人のためにお金を送ろう」と話されたそうです。その後も送金は続いて、これまでに額面合計で488億円。現在の価値に換算して1600億円。想像もつかない高額です。なぜ学校に金日成主席の肖像画を掲げているのか、「建国の父」と慕うのか。わたしたちは朝鮮とつながっているんだということをお話しておきます。
在日本朝鮮青年同盟勤務員(在日朝鮮人)
それこそが、数多くの在日同胞が朝鮮民主主義人民共和国を「祖国」と呼ぶ所以ですし、このような歴史があるから、親しみを込めて「ウリハッキョ」(私たちの学校)と呼んでいます。朝鮮学校は「在日朝鮮人運動の生命線」であり、「在日同胞コミュニティの中心地」なのです。
組合役員(日本人)
朝鮮人の「在日」化が固定した、個人の問題だけでは済まされない背景があったことも見ておく必要があります。植民者だった日本人の引揚が優先されたことによる祖国帰還用船舶の不足。南側に駐留した米国の強圧的な占領政策による朝鮮半島情勢の混乱などです。
大学院生(在日朝鮮人)
日本の復興財源確保が優先されたので、特別配給もなく、GHQによって財産の持ち帰りが制限されて、朝鮮半島へ帰還しようにもできなくなってしまったということもありました。
組合役員(日本人)
それがなかったとしても、長期の朝鮮支配で日本列島に生活基盤を築くほかなかった個々の暮らしがあって、在留も帰還も個人の自己決定に委ねられるのは自然なことです。
組合勤務員(日本人)
はっきり言えば、今日の問題は日本と米国が始めたことです。ですからマイノリティ差別問題という枠組みで捉えて植民地支配責任と向き合わないとすれば、見誤るのだと思います。愛知県立大学の山本かほり教授(社会学)は、「朝鮮学校に在籍する学生たちは、日本人の児童・生徒とは、やはり『同じ』ではない」、「朝鮮学校の教育の主眼は、植民地支配で奪われた言語、歴史、文化の回復であり、そこで学ぶ子どもたちは、それを必要とする在日朝鮮人の子どもなのだ。つまり、植民地支配の結果として、本来はもっと当たり前に身につけるべき朝鮮語や朝鮮の文化を獲得しなくてはいけない立場なのである」と書かれています。(※2)
植民者・日本人として、この視点を大切にしたいと思います。底の浅い表現になってしまいますが、それが「友好の第一歩」になろうかと思います。
朝鮮学校勤務員(在日朝鮮人)
朝鮮学校の未来についても話したいと思います。2002年の平壌宣言には、日朝間の不幸な過去を清算するということで、「日朝国交正常化交渉を再開」、「(日本側は)痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明」、「互いの安全を脅かす行動をとらないことを確認」、「北東アジア地域の平和と安定を維持、強化する」という内容が盛り込まれました。ここで拉致を認め謝罪がありました。わたしは当時、高校生で、同級生といろんな話をしました。「どうなってしまうんだろう。こんなひどい国だったのか」、反対に「わたしたちは過去拉致されて連れてこられた者の子孫じゃないか」
しかし、どちらの立場でも安全を脅かされて拉致されることは決して許されないことだと断言できます。祖父たちも日本に連れてこられた被害者で、わたしも当事者です。被害者の痛みと感情があることを認識しています。だからこそ、不幸な過去を清算する必要があるし、手を取り合う必要があります。
ところが、故・安倍晋三らによって、反故にされました。1965年の日韓基本条約で得た都合のよい解釈と見解、つまり過去の植民地統治の法的合法化と、米韓日支配層の利益関係が崩れることを危惧しているのだと思います。自分たちの祖父・岸信介らが戦争犯罪人扱いされないために、「戦争する国づくり」のために、反朝鮮キャンペーンを繰り広げています。分断の溝は深ければ深いほど利用しやすくて、自分たちの利益になるという考え方です。まさに朝鮮学校は日本の38度線なのではないかとわたしは問いたいです。
彼らは、たくらみの真実を明らかにしようとする意志と精神の所在を弾圧しようとしているのではないでしょうか。ですから、在日4世と5世と6世にとっての必要と同じくらい日本社会にとってもウリハッキョを守って発展させていくことの意味があると思います。ウリハッキョは、民族の文化と言葉と伝統を守り、民族の心を育み、在日朝鮮人コミュニティを継承発展させるための拠点になるべきだし、統一朝鮮と国交正常化に向かって、異文化交流と多文化共生社会を築く国際交流の拠点になるべきだし、 在日と日本社会、日本と朝鮮半島、南北朝鮮をつなぐ「かけはし」になるべきです。
大学院生(在日朝鮮人)
日本社会は在日朝鮮人が在日朝鮮人として生きることの難しい状況です。わたしは自分が当事者だとあまり大きな声で言うつもりはありません。在日朝鮮人だけが当事者だとは思っていないからです。根底にある本質的な問題について意見を交わし、ともに悩み考えていくことが重要だと感じています。ここにいる全員が、そして日本社会全体が当事者であるはずだからです。
こうした交流の機会をうれしく思います。小さな取り組み一つひとつ、朝・日友好のために行動し、交流しながら、友情を深めていきたいです。
※1 鄭栄桓「在日朝鮮人の権利 治安乱す存在と見て登録・管理」(赤旗編集局編『日韓の歴史をたどる 支配と抑圧、朝鮮蔑視観の実相』新日本出版社、2021年)を参照しつつ、発言者(組合勤務員の日本人)は、編集者がつけたであろう本のタイトルに「朝鮮半島と日本のことを書いた本に『日韓』と付けるのは、韓国を半島の唯一の合法政府とする国家権力の立場を発行者が無批判に受け入れているからではないか」と不満の意を呈した。 ※2 山本かほり『在日朝鮮人を生きる 〈祖国〉〈民族〉そして日本社会の眼差しの中で』三一書房、2022年。